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しばらくしばらく休み14日(火)ポイント予報: 気象庁13日18時発表
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しばらくしばらく休み14日(火)ポイント予報: 気象庁13日18時発表
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ンディアン・スレイから行ったんホテルへ帰り昼食。午後~トンレサップ湖クルーズへ。
船着き場へ近づくにつれてゴミのすえた臭いが。高床式の小屋が延々と続く。
その下の浜(?)は空き缶だらけ。もう少しなんとかしたらいいのにと思う。
入江から船に乗り込む。真中にガイドさん、日本語はマーマーで「一度、家族で日本へ行きたいとの事」
水上生活で、学校、教会も湖面に浮かんでいる。
小舟で日用品~食料品まで、観光客には果実売りの小舟がサーっと。バナナは日本で見る物より小ぶりで、味も少し違う。ホテルのウェルカム・フルーツもそうだった。
湖上スーパーマーケットで生け簀を見る。でっかいナマズを見て、そーだ、海ではなく湖だったと思う。で、水
上家屋なので下水処理は・・・・とおもうと・・・んー。
陸上家屋への移住政策がとられているけど、なかなか進まないらしい。昔からの生活を変えるのは難しいのだろ。
夕食はホテルのレストランでタイ料理を。4人でいろいろ頼んでシェア、たいていの料理は食べた。
ご当地ビールも美味しかった。
ホテルの車でシェムリアップ空港へ。もう少し街をブラブラしたかったけど、ガイドさんから夜は大通り以外は
出歩かない方が良いと云われて・・・・。
おわり
雑木林が少し開けて所で少しもやもやした白い花が見えた。高さは1メートルくらいで、白い花がたくさん付き、花弁の先が糸の
様になり長く伸びている。
一寸離れた所に丁度咲き始めたものと蕾をつけたのが生えていた。蕾の頃は葉が大きくて目立たないけど、次第に目を引くように。多株よりは1本の方がすっきり。
キク科の多年草。日本朝鮮半島や中国、フィリピンに分布しています。林道の脇、草原や渓流沿いなどの日当たりの良い場所に自生する。
高さは1mほど。茎葉は細長く立ち上がり、葉は対生し、それぞれの根元から花をつける聞くが伸びている。上部の枝先に多数の頭花をつけ、頭花は5個ほどの管状花で、花柱の先が分枝 して糸のように長く伸びてます。
る茎があらい鋸歯がある。花期は8〜10月頃。フジバカマに似ているが、フジバカマの葉は3裂するのに対して本種は裂けないので区別できる。
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H24年9月下旬に見っけ。
ウオーキングコースの池の端でフェンスに。先の方を貰って(誰に断るわけでもなく)良く見る。
翌日、良く見ると青い実が・・・、紫に色づいたものを見つける。
1ヶ月後、段々と色づいてきました。紫が多いのですが、別の茎に1つだけ青色のものがありました。写真左上
普通、青色や紫に色づくそうですが、空色のものは珍しいそうです。これは青or空色?
10月21日。別の所でオレンジ色の実を見つけた。このままなのか、変わっていくのか?
図艦&ネットから「ノブドウ」ではないかと。
ノブドウやエビヅルやヤマブドウは古来から日本で自生するブドウ科の植物ですが、現代の葡萄とは別物。
西アジア原産~欧州、中国~日本へ。西アジア地方の呼び名ブーダウがブドウの名の由来だそうです。
ノブドウは北海道から沖縄まで分布する木本のツル植物である。木本性であるが、太くなって高木に届くまでになることは無い。
主に藪や草原に繁茂している。熟すと青や紫などに色づき光沢もあって美しい.空色の果実は珍しいとのこと。
果実は悪味でとても食べられないが、鳥には良く食べられると見えて、生垣や庭にいつの間にか生えること多し。
ノブドウは食べられない事から中国では蛇葡萄(蛇が食べる葡萄)と書かかれ、漢方の薬になっています。
葉や茎を漢方の生薬名で蛇葡萄(じゃほとう)、根を蛇葡萄根(じゃほとうこん)と呼び、関節痛等に薬効があり、ノブドウ酒も造られ、痛風等に効果があると云われています。
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H24/10/04
朝のウォーキングで雑木林の入り口で可愛いツルの花を見つけました。花は 1cm 位で朝顔にしては小さく???
ヒルガオの1種かなと思い、図艦やネットで調べても葉っぱの形(丸みを帯びた物と3つに裂けたものが混在)、
花の形(外側が5つに角張)、大きさからどうも違う。
翌日、もう一度見に行く。少し離れた所にヒルガオが咲いている。やっぱり違う・・・・・・。
ネットで何やかややってたら、偶然にサツマイモの花が出て来た。これが良く似ている。
雑木林にサツマイモ???? 昔誰かが栽培していて、その後に先祖がえりして小さくなった?????
それないないだろう。すっきりしない。
3日目、岡山理科大学・地球生物学科のHPでヒルガオ科 ->豆朝顔を見つける。
間違いない!!
なんと! ヒルガオ科サツマイモ属 だそうだ。サツマイモがヒルガオ科とは知らなんだ。
花も似ているはず。
3日かかってスッキリ。
ヒルガオ科で検索すると・・・・
北米原産の帰化植物。本州中部以南の暖地に普通に見られ、荒地、路傍、河原などに生育している。花は夏から秋にかけて咲き、
直径は1.5cmほどで小さい。
白色と紅色の花があり、花色が淡紅色~紅色のものを、ベニバナマメアサガオという。
花径は1.5~2cm、葉は変化が大きくて丸いものから3裂しているものまであり、茎は赤みを帯びている。
直径は1.5cmほどで小さい。
葉の形は変化が大きく、丸いものからアサガオのように三裂するものまであるという。
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ホテルから車で約1時間、少し早めに出発。
途中、牛さんの行列に会い、どうぞお先にと遠慮する。駐車場付近にはお土産屋、ペットボトルで水を仕入れる。
バンテアイ・スレイ (Banteay Srei) アンコール遺跡の一つで、アンコール・ワットの北東部のヒンドゥー教の寺院遺跡。
寺院はラテライトと紅い砂岩で築かれており、周囲約400mでほぼ四角形、公式陸上競技場のトラックを四角にした
大きさ。バンテアイは砦、スレイは女性で、「女の砦」の意味。
祠堂は全面が彫刻で飾られており、中央の祠堂には門衛神の「ドヴァラパーラ」が、南北の祠堂には「東洋のモナリ
ザ」と評されるデヴァターの像が柔らかな曲線で彫られ、美しい姿を見せている。
彫刻が見事、よくも精巧、滑らかに、奇麗に残っていたものです。
帰りに熱気球に乗り、空からアンコール・ワットを
周りはジャングルが果てしなく広がり、多分、未発見の遺跡がいくつもある」と言われる所以。
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半日歩きまわり、少々疲れた。戻る途中で一休み。ふと横を見るとお猿が一匹。
群れを離れた一匹オオカミならぬ一匹猿?それにしては穏やかな顔。
「毎日まいにち、人間どもは何しに来てる?」「そろそろ帰るか」とでも思っているのか・・・・
さて、夕食はスパクエ(影絵劇)を見ながら・・・・。車に乗り込む。
スパクエの名がつくものは3つあり、
・スバエク・トーイ:トーィ:「小さい」という意味。
人形は50cmほどもので、手足や口を持ち手や糸で動かします。物語は冒険ものが多く、戦いあり恋愛あり。
王子、王女のほか、水牛、獅子などの動物などが登場し、コミカルな動きが可愛い、素朴な庶民的な雰囲気のものでした。
・スバエク・トム:語り部がいる影絵劇。
・スバエク・ポア: 牛の皮にで作られ、鮮やかな彩色をした人形を使う「皮人形芝居」。
今回見るのはスバエク・トーイ。
レストランは観光客相手のちょっぴり古き時代を思わせる奇麗な所。ご当地ビール2種類で・・・。
人形は細かな所まで作り込まれているようです。
動きがホントにコミカルで楽しいのですが、筋を知っていないとちょっとつらいものがあります。
人形を操っているのは若い女の子が多く、後ろでは見習い中の子が真似をしながらの修行中。
音楽は男の子とすみ分け?
帰る途中でライトアップしたアンコール・ワットを見ながら涼む。
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回廊レリーフ
第一回廊は東西200メートル、南北180メートルで、多くの彫刻が施されている。
・写真左:インドの叙事詩である「マハーバーラタ」の場面。上段は王や王像がみこしに乗って。
下段は王国をめぐって左から攻めるパーンダヴァ族と右から攻めるカウラヴァ族。パーンダヴァ族が勝った。
・写真右:行進する兵士。
近づいて見ると、驚くほど精密に彫られています。どんな人がどんな思いで・・・。
・「天国と地獄」と呼ばれるレリーフ。上段に「天国へ昇った人々」、中段に閻魔大王らとその「裁きを待つ人々」、下段に「地獄へ落ちた
人々」が彫られている。よく見ると、なにやら責められているようです。東南アジアはヒンデゥー教と仏教が時代によって入れ替わり、
混在前もって調べておかなくては 一寸解りづらいです。
・乳海攪拌「ヒンドゥー教の天地創造神話)の様子が彫られ、神々と阿修羅らが大蛇ヴァースキを引き合ってマンダラ山を回し、
海を混ぜている。 写真の下は亀さんです(のはず)。
第二回廊は東西115メートル、南北100メートル、17段の石段を登り入る。レリーフ無くて、仏像が祀られていました。
写真左:なぜか算盤を思い出しました。
そして第3回廊へは・・・一瞬たじろぐ急な階段。下りは少し怖い!。白人ビヤ樽おばさんが途中で登るのをあきらめました。
第三回廊は一辺60メートルで第二回廊より13メートル高く、この石段を登って入る。
四隅と中央には須弥山を模した祠堂が聳え立っています。、
*須弥山(サンスクリット=スメールSumeru、スメール山) 別名はマハ・メル山(偉大なるメル山を意味する)
古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山で、この世界軸としての聖山はバラモン教、仏教、ジャイナ教、
ヒンドゥー教に共通のものだそうです。ジャワ島にもスメル山という名の山があります。
本堂の祇堂は65メートルの高さ。始め本堂にはヴィシュヌ神が祀られていましたが、仏像が祀られている。
壁面には王宮の舞姫を模したという多くの女神が彫られています。
メイさんが意味ありげな笑顔で「この女神の胸が光ってます。男性が触っていくので」とニコッ。
「お父さんも好きでしょう?」一瞬の隙を突かれた。・・・・・・・とっさにウィンクで答える。
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H25年4月14日:昨年のものに追加
花が咲きました。確かに豆の花、それ以外に表現出来ず!
花は下の方から上へと、花が上に行く前に実がなり始めました。
ゆえに、収穫も何回かに分けて下の方から。
さやの色は黒紫??
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先日、中・高校時代からのポン友からTEL
*リタイア後、ご多分にもれず野菜を作ったり、メダカを育てたり、足湯を作ったり・・・・
「ちょっとばかし面白か豆を採ったけん、今から持っていくバイ」(博多弁)
その豆、写真では黒っぽいけど濃い紫色。豆はグリーピースみたい。
この豆、ご存知ツタンカーメンが発掘された時に出て来た副葬品の豆が現代へ生きかえった物で
段々と拡がって来たものだそうです。インゲンの原種(日本で食べている物とは種類は違う)で、
当時エジプト周辺での食料。
写真左:豆ご飯にすると、ご飯にわずかに色が付いている程度で味は悪くない。
参道(石橋)を渡って行くと西大門へ。観光客はここから入る。西大門は南北230メートル程で、
三塔を戴き、中央に王の門と左右に二つの門。王の門の左右は七つの頭を持つ蛇神ナーガが護っていて、
ここを通ることは禁止されています(進入禁止の標識)。更に南北には階段が無く象が通れる象門が二つ。
中に入ると前庭、広いのです!少し横へ行くと定番のスポット。全ての塔が一目で見られます。
アンコールワットは3階層になってます。正面の左手から第1階層の回廊へ。
続く=
昼食後、車でアンコールワットへ。今日もガイドはメイサン。明るいお嬢さんです。
道は広いけど舗装はしていなく、土ぼこりが凄い。
所々、高床式住居の集落、御土産の露店がある。電気が来ていない所が多く、井戸水。
小学生とすれ違う。午前午後の2部制との事。女の子は白の半そでブラウスに
紺色の吊りスカート。ズック、草履の子が多いが、中には裸足の子もいた。
右手に堀が見えてきた。とにかく壮大、んーっ! 外側は東西1,500メートル、南北1,300メートル、幅190メートルの濠で囲まれている。
東西南北に門があり、正門の西門を石橋を渡って入る。
橋の両側には蛇神ナーガの欄干で縁取られていたけれど、今は堀に落ちたまま。石橋は日樽半分は未修復。
堀を石橋を渡って中へと。この橋の修復は世界各国の援助があったそうです。
コンクリート補修が多く、元の石と違い趣が???。「その中で日本だけは元々使われた石を
同じ産地から持ってきて補修。まだ新しいが日が経つにつれて周りと調和が取れてきている。
日本人は細やかで優しく素敵、大好き」との事。 とメイさん。こちらもうれしくなる。
つづく
朝はゆっくりと7時過ぎに起き、トースト、サラダ、ご当地フルーツジュース。
妻と2人でナショナルミュージアムへ。入場券はホテルフロントで、割引あり。
通りはここもバイクの流れが凄い。
近代的建物で、展示室のほかにファッションなどのショップがありました。
帰る途中でショッピングセンターへ行き、妻が御土産にシルクのスカーフを3つ、値切ると18$が15$へ。
喜んでたけど、多分、初めから5$を6$にしてたんじゃないかな???
ホテルから少し離れた所にちっちゃな店があったのでタバコを買いに。小さな女の子が店番。
ありゃと思ったけど、How mach?・・・3$ で会話成立。「いくら?」・・・「270円」は無理だろうな?
タバコとご当地スナック菓子を買う。ホテル豪華スイートルームでポリポリ。
午後はいよいよアンコールワットだ。
かなり歩きまわり、少々疲れる。車でクメール伝統織物研究所へ。
ここは、京都の手描き友禅職人だった森本さんが移り住み、クメール伝統織物の
カンボジア絣、絹織物の再生に取り組んでいる所です。昔は綿花栽培、養蚕、糸、藍、
ラック(伝統の赤色染料、ラックカイガラムシの巣から作る。アンコール時代から受け継
がれた。)、道具を作る木々などは
一つの村の中でまかなえられるシステムでした。ポルポト~戦乱ですべてが壊滅。
約500人が働き、森の再生から取り組んでいるのだそうです。村々を回り、高齢の
織り手を探しだし、その技能を若者が学んでいます。
今日は暑さの中、結構歩きまわったので疲れた。ホテルへ戻り、バスタブでウツラウツラ。
中庭のプール脇でアプサラダンスを見ながらのディナー。
ダンサー(女性)、楽団員(男性)とも20歳以下に見えました。
ここでも伝統芸能の継承が大変だそうです。
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バイヨンの他に約50の塔があり、、中央祠堂をはじめ、塔の4面には人面像(バイヨンの
四面像)が」彫られています。塔と云う塔には人面像、その合計は110を超しているそう
な。人面像は約2mの高さ。
人面像は観世菩薩像と言われていますが、戦士の冠を被っていることから王を神格化・
偶像化したものであるとの説もあり。確かに一つの神、仏をやたら多く置いてある所は
ないような・・・・。
アンコルトムの中心部に像のテラス、王の謁見、閲兵用のもので高さ3.5m長さ350m。
3.5と350 & 1対100・・・何か意味があるのかな???
壁には像がずらーっと彫られ、テラスへの登り口階段の両脇には3つの頭を持つ像の柱。
右写真:不審者につきマスクを。
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6時に朝食。8時にアンコールトムへ出発。ガイドはメイさん・若い女性。日本語はなかなかのもの。
アンコール・トム:アンコール・ワットの北側にある城砦都市。
アンコール=ナガラ(サンスクリット語)からできた「都市」の意味。
トム=クメール語で「大きい」の意味。
1辺3kmの堀と高さ8mの城壁に囲まれている。建造物はラテライト(紅土)のレンガで出来ている。大きな街と云った感じ。
外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門で結ばれている。中には一番大きな南大門から入る。
門へは堀にかかった大きな参道みたいな橋を渡る。橋両側には欄干。 門に向って左側
は大きな蛇を左側は神々が、右側はアスラ(阿修羅)が綱引きの様に蛇の胴を引張って
いる。
蛇は3つの顔を持つ蛇神ナーダで、コブラだそうだ。顔の形を見るとなるほど納得。
[門に向って左側の欄干:神々が綱引き?]
欄干の謂れは乳海攪拌と云うヒンドゥー教における天地創造神話の一部。
不老不死の霊薬アムタリを作りだすために乳海攪拌を実行することに・・・・・・
ビィ「シュヌ神の化身である巨大亀クルーマに大マンダラ山を乗せ、大蛇バアースキを絡ませて、
神々はヴァースキの尾を、アスラはヴァースキの頭を持ち、互いに引っ張りあうことで山を回転させると、
海がかき混ぜられた。海に棲む生物が細かく裁断されて、やがて乳の海になった。
・・・・・・更に1000年の攪拌が続き、いろんな生物が生まれた。・・・・・・
城門は大きな塔になっていて、高さ23mの城門上部には、巨大な蓮の王冠を頂く
四面観世音菩薩がいて四方を見下ろし、城門の両脇四隅には3つ の頭をもつ神象と
合掌した天女達が彫刻されています。
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いざ、シェムリアップへ!
冬から夏へ。成田空港でコート、セーター等をしまい夏仕度。
成田~インチェン、2時間ほど乗り継ぎ時間。外へ出ると入出国手続きが掛かるので中で御土産品を
ウィンドウショッピング。帰りに買う物をチェック、免税店でいいモノ見つける。
シェムリアップ空港21時40分着。成田から約9時間。動いてはいないが疲れる。
迎えは・・・・。ホテルへ電話、やって来たのが白のリムジン、皆が見てる、少し恥ずかしい。
でかいホテル、今回は一寸リッチにスイートルーム。
さすがに広い! 食事は機内で済ませたので、ルームサービスを少々頼み、なにはともあれバスルームへ。
ベランダでご当地ビールで盛り上がる。でも、ほどほどにしないと。
中庭には大きなプール。・・・・中高年の白人女性はどうしてビヤ樽が多いの???
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写真は数年前に行った埼玉・巾着田の自生のヒガンバナ林(?)。高麗川に沿った見事な赤いじゅうたん。
ヒガンバナは中国から渡来したと云われています。土手などでよく見ますが、中国・江西省の崖に一面に
咲いているそうです。元々はそうした所に自生していたものが、洪水などで麟茎が流されて低地で広がった
とも言われています。
元は稲の救荒用(飢饉時の食料)として日本で栽培されたものだそうです。
ヒガンバナの方言に「シロク、シロギ、シロエ」が残っているそうです。
シロエ→シレエ(死霊)→ソウレンバナ(葬礼花)
仏教が入ってから彼岸(=死)花と云うようになったの説あり。
異名として、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、
狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあ等、不吉な名が多いです。
曼珠沙華は仏教では「白く柔らかな花」を云い、一寸違うのですが・・・・・・・・。
昨夜、窓ガラスにバタンバタンとセミがぶつかって・・・。脳震とうは大丈夫かな?
そのうち、網戸に・・・。お腹をこっちに向け、あられもない姿でジーット。
指をこちょこちょすると、例のごとくオシッコをピューとして飛んで行きました。
別に逃げる時にするものではなく、樹に止まっている時でもしているそうです。
確かに、驚かされるまで我慢できることではない。
写真
アブラゼミ、ツクツクホウシ、ヒグラシ:「福光村昆虫記)提供:http://members.jcom.home.ne.jp/fukumitu_mura/_index.html
クマゼミ:「セミの家」提供。著作権者税所康正氏の掲載許可済み:無断転用禁止
アブラゼミ、クマゼミ
大きな声で鳴いている奴。夏!と云う感じだが、時には 暑い、うるさいと損なセミ?
近年、生息域が変化して 温暖化によってクマゼミが北上したと云われたりしてます。
が、それだけでは説明できないこともあり(ある所でクマゼミが見られるようになったが、お隣の県にはまったくいないなど)、
幼虫が植樹について移動したのではないかとも言われています。
古語で、絞り出す声を「せみごゑ」と云います。確かに鳴き止む前の「じーじ、じ、じ・・・・」はそのように。
クマゼミ
ツクツクホウシとヒグラシは得な鳴き声ですね。澄んだ、少しさわやかに。なんとなく夏も終わりに近づいた気がするものです。
でも、梅雨頃から鳴いているそうです。アブラ・クマゼミの大きな声にかき消されている?????
気象庁の観測で、ツクツクホウシの初鳴きが増えてきました。体つきがスマートです。
薄衣を「せみのきぬ(蝉衣)、せみのはごろも(蝉羽衣)」と。この辺りは日本語の面目躍如!
8月の和名は旧暦8月の文月を使っていますが、今年の8月1日は旧暦7月2日に当たります。
旧暦7月の和名の幾つか
・あきのはづき(秋端月) ・あきはづき(秋初月) ・たなばたづき(七夕月) ・ふみひらき(ふみひろげ)づき
(文開月)・ふみひらき(ふみひろげ)づき(文開月) ・をみなえしづき(女郎花月) ・ほみづき(穂見月)
・・・・・・などなど。
何やら秋の感じがするものが多いです。
文月
七夕に歌や書物を供えることから「ふみひらき(ふみひろげ)づき(文開月)」から「ふみひらき(ふみひろげ)
づき(文開月)」になったという説があります。ただ、七夕は奈良時代に中国から伝わったことを考えると、
新しすぎるようです。
ほみづき(穂見月)~ふみづき
この時期は稲の穂が出始めるときであり、「ほむ」-「ふむ」-「ふみ」からふみづきに変わったという説が
あります。
陰暦7月は季語では秋です。まだまだ暑いけれど、秋も近くなったと云うことでしょう。
前から思っていたことですが、私は空気の色が少し白っぽく感じ、夏ももうすぐ終わる」と思うことがあります。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」:古今集・藤原敏行
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セミの鳴き声:下のサイトで聞くことが出来ます。公園などで聞き分けると面白いです。
http://www.hitohaku.jp/wave/s_semi.html
我が家の周りでも何種類かのセミが鳴いています。
あの小さい体で、羽を震わせるだけで大きな声(音?)が出るもんだ!
庭の木にとまっているのを見ていると、太陽と反対側に居るようです。
セミは保護色を持っていると云う事ですから、目立たないように影にいるのでしょうか。
ニイニイゼミ
写真は「セミの家」提供。著作権者税所康正氏の掲載許可済み:無断転用禁止
http://homepage2.nifty.com/saisho/Zikade.html
可愛いのですが、案外と体つきはズックリムっクリ型。色は頭から胸にかけては灰褐色、お腹にかけては
黒色。背中に「W]の模様。
・樹の低い幹、目元によく止まり、桜の木が大好き、灰褐色と翅のまだら模様は樹皮に紛れる保護色。
・東京都心で一時、極端に減りましたが、此の所元に戻りつつあるそうです。
・「閑さや岩にしみいる蝉の声」:ニイニイゼミと言われてると何かの本で読んだ覚えがあります。
・個体によって(場所?)によって色が違うのですね。
ミンミンゼミ
写真は「福光村昆虫記)提供:http://members.jcom.home.ne.jp/fukumitu_mura/_index.html
・結構丸っこい体系ですが、羽が大きくて大型に見えます。
・体は黒又は水色、緑色の斑紋があり、胸と腹の境界付近が白くなってます。
・暑さに弱く、暑い所では黒色はいなくて、北海道では濃い黒色で、熱の吸収を調整しているのでは。
夏の花「サルスベリ」が南で咲き始めています。
那覇で6月23日、約2週間後の7月8日に名瀬で開花が観測されました(気象庁)。
よく見るのはいかにも夏!ってな感じの紅い花ですが、白色、たまには薄紫の花も見ます。
薄紫の花は涼しげで一瞬、暑さを忘れます。園芸種???
写真:青木繁伸(群馬県前橋市)
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/
夏から初秋にかけて、花弁を落としては咲き、落としては咲き続けます。
花が散ると、そこから新しい花芽が出てくるのだそうです。
中国名「百日紅」は花期の長さから来たものでしょうか。
よく引用される句に
散れば咲き散れば咲きして百日紅:(素園)
幹がすべすべしている所から「猿滑」と書かれたりしますが、
敵もサルもので難なく登るとのこと。
「風物ことば十二カ月」(萩谷 朴)の著者の体験談から
スマトラアチュ地区、ランサの通りで、空から滝のような花吹雪が、
・・・・まぎれもなくサルスベリの花で・・・・・樹は高さ15mほど・・・・
樹の肌はガサガサして、とても百日紅とは思えません。・・・・・・・
熱帯原産の樹が中国~日本へ渡る間に気候の影響を受けて・・・・
ツルツル、クネクネに変わった・・・・・
本来は サルスベラズ であった・・・・・。
=おわり=
ジョギングコースの公園・雑木林にヤマモモの木が点在。
盛りを過ぎて、赤い実が地面に一杯落ちています。
子供の頃には熟れた実を塩水で洗い、口を真っ赤にして食べたものです。
止まって、実を集めて久しぶりに食べてみました。
学校帰りの中学生の娘が なになに と云うので・・・・・
3人でワイワイガヤガヤ云いながら袋に入れて持って帰ったけど、
今時は食べることはしないのかな?
写真:「季節の花 300」提供 http://www.hana300.com
やまもも」は中国名は楊梅だそうです。
この漢字が日本の記録に表れたのは「出雲風土記」が最初。
発音は?です。
本草和名:深根輔仁の撰による日本現存最古の薬物辞典(本草書)で、
醍醐天皇の延喜年間(901-923)に書かれた。
ここに「也末毛毛」(楊梅とは書かれていない)がみられる。
倭名類聚鈔:平安時代中期の承平年間(931年 – 938年)、源順(みなもとのしたごう)が編纂したもの。
ここに「楊梅、夜末毛毛」と書かれていて、ヤマモモと言っていたのでは。
語源には3つほどあります。
1 山もも
山は栽培しているものではなく、自生していることを意味し、モモは丸い実の意味。
東雅:新井白石
「其形の桃に似たるにもあらずしかるをモモをもて呼ぶ事は凡果のその肉核をつつみて
核の中仁にあるものを皆モモといひし也」
2 山桃
山にあり、味が桃に似ている。
古今要覧稿:江戸後期の文政4~天保13年(1821~42)成立の類書。560巻。屋代弘賢が編集。
「山中に自ら生じて味も苦味ありて山生の桃に似たればしかよべり」
3 山百百
百百は果実が一杯、房をなしていることから。
東雅:新井白石の中に、古説として
「其樹山谷の間に生じて実又繁をもてかくいひしとみえたり」
植物研究雑誌:田村利親
「百百はモモと訓じ果実が多く房をなして密集する状を云ふ」
=終わり=
7月の和名を文月と使っていますが、文月は旧暦7月=新暦8月のこと。
季節からいえば旧暦6月の呼称の「みなづき」が良いと思うのですが。
暦-1の蝉の羽月、常夏月、焦月などは確かに夏を思わせる言い方ですが、
よく言われる「みなづき」について調べました。
みなづきの謂われは 幾つかの説があります。
1 みなしつき(皆仕尽)または、みなつき(皆尽)の略
田植えが終わり、大きな農仕事が皆尽き、秋の収穫を待つばかり」の意味。
[奥義抄] 平安後期の歌学書。3巻。藤原清輔ふじわらのきよすけ)著。天治元年(1124)から天養元年(1144)の間に成立。
その中に
「みなつきたるゆゑに、みなしつきといふをあやまれり」
[二中歴] 二中歴(にちゅうれき)は、鎌倉時代初期に成立したとされる事典です。
平安時代後期の「掌中歴(しょうちゅうれき)」と「懐中歴(かいちゅうれき)」の内容をあわせて編集したものとされています。
その中に
「六月農事すでに終わり、旧穀皆尽く。故に此月を称して、 皆仕尽(みなしつき)とす。
今云ふ所のミナツキは、是ミナシツキの略也」
2 「水+な(連帯助詞)+月」:水が溢れるほどの月の意味
「蜻蛉日記」(かげろうにっき、かげろうのにっき、かげろうにき)は、平安時代の女流日記で、
作者は藤原道綱母。天暦8年(954年) – 天延2年(974年)のできごとが書かれています
その中に
「6月(みなづき)になりぬ。朔日(ついたち)かけて、長雨いたうす・・・」
また、
みなづき祓(ばらえ)の行事が伝わっていて、罪・穢れを人形に移し、川に流す事をします。
[倭訓栞] 江戸後期の国語辞書。93巻。谷川士清(ことすが)編。安永6~明治20年(1777~1887)刊。
「水月の義なるべし、此月は田ごとに水をたゝへたるをもて名とせり」
3 水無月:「太陽が照りつけ、酷暑で水が涸れてなくなる」の意味
上の2とは逆の説。
[万葉集] 7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集で、
成立は759年(天平宝字3)以後と言われています。
「六月(みなづき)の土さへ割りて照る日・・・・・・」
[竹取物語] 日本最古といわれる物語。『竹取物語』は通称で、『竹取翁の物語』とも『かぐや姫の物語』とも呼ばれたものです。
成立年、作者ともに不詳ですが、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。
「みな月の照りはたたく(雷が鳴る)にも」
4 雷 [語意考] 賀茂真淵編。1769年自序
「加美那利月(かみなりづき)の上下を略けり」ただ、なぜ略されたかは不明。
また、十月を「かみなづき」と言うのは、この月から雷が落ちなくなるからで、「かみなりなしづき」である。と言っています。
*月の呼称の中でも、6月はいろいろな説が多いそうです。
=おわり=
新暦7月を文月と言っていますが、これは旧暦7月を文月(ふみづき、ふづき)と云うので、
同じ7月なのでそのまま当てはめたものです。
新暦7月は旧暦の6月に当たります。今年、平成23年7月1日は旧暦6月1日です。
旧暦6月の異称には次のようなものがあります。新暦7月の季節、風物が思い起こされます。
7月を文月と云うよりは旧・水無月と云いた方がぴったりしませんか。
なぜ、7月の7という数だけで文月を当てはめたのか??つまらない事をしたもんだ!
・あおみなづき(青水無月) ・みずかれづき(水涸月) ・みなづき(水無月)
・くゎげつ(火月) ・せうげつ(焦月)
・いすずくれづき(弥涼暮月) ・すずくれづき(涼暮月)
・かぜまちづき(風待月) ・まつかぜづき(松風月)
・きか(季夏) ・とこなつづき(常夏月) ・なごしのつき(夏越月) ・ちゃうか(長夏)
・ばんか(晩夏)
・せみのはづき(蝉羽月) ・たぐさづき(田草月) ・なるかみづき(鳴神月)
・はやしのかね、りんしょう(林鐘)・たんげつ(旦月)
梅雨から夏へと移り変わる季節、なるほどと思わせる言い方です。
次回は、そのいわれについて幾つかを。
=続く
涼しげな水色のトンボ。暑い時に見つけるとホッとします。
気象庁で観測(初見)しているのは ♂ の成虫です。
幼虫の時は♂・♀ともに黄色で、大人になるにつれて♂だけが水色に変わっていきます。
尻尾の先が開き、先っちょから2つ目の節が少し膨らんでいるのが♀。
幼虫や♀はその色からムギワラトンボと呼ばれているそうです。
この名前も季節がら、そして子供のころを懐かしく思い出し、好きです。
写真は「福光村昆虫記」http://members.jcom.home.ne.jp/fukumitu_mura/_index.html
さん提供
沖縄気象台では
オオシオカラトンボを観測しています。
シオカラトンボの兄貴分みたいにやや大型で、尻尾の先までほぼ同じ太さのずんぐり型。上の写真を見ると、確かにシオカラトンボは、腰から下がスマートに細くなっています。
オスは濃いめの水色で、メスはくすんだ黄色。後翅の付け根が黒褐色になっています。
見かけたら網を持ったつもりで、そーっと近づいて一寸観察を、暑さを忘れるよ。
=
気象庁の生物季節観測で「あじさいの開花」が観測されています。
今日6月23日現在、北陸南部~関東甲信地方まで開花。
平年や昨年よりも遅い所がほとんどですが、山陰~北陸では少し早い所があります。
アジサイの開花は真の花の開花。何とも云えない風情を見せている紫の内側の小さな固まりが真の花。
アジサイ:紫陽花 七変化 七色花 四葩(よひら) などなど。
「あづ(あぢ)」=(小さいものが)集まる様子。
「さヰ」=さあい(真藍) or さ(接頭語)+あい(藍)
が語源だとか。
紫陽花は中国の招賢寺にあった花の名前で、日本のアジサイとは別物らしいです。
確かに、「陽」のイメージではないですね。
静かに、そして妖しく咲き、男心を・・・・と思うのはオジサン族だけ???
=
そうすると、「さつき(その他の云い方)」の季節感が失われてしまします。
6月=旧・さつき みたいな方が良いかなと思います。季節感を大事にする日本人としては。
「さつき」の異称はいろいろあり、そー、「色々月」とも云うのです。
身近な、季節を感じる言い方では
「うげつ:雨月」確かに梅雨だ。
「うめのいろづき:梅色月」今、八百屋さんに赤みを帯びたのが売ってます。
ちなみに、我が家の梅は日照不足だったのかいるが悪く、青いまま塩漬けにされてます。
それから「わせづき:早稲月」なんてのもあります。
五月の方が古く、皐月は後世になってからだそうです。
気象庁の生物季節観測で、2011/4/6日に和歌山でトノサマガエル初鳴きが観測されています。
そのときの電文関係で「トノサマガエル・トウキョウダルマガエル」の文字がありました。
なんだらべ・・・・ちょっと調べてみました。
トウキョウダルマガエル
・トウキョウダルマガエルはトノサマガエルとの違いは、黒い斑紋が独立してはっきりしています。
雌雄で、体色が違いません。
・トノサマガエルは、後肢の中指が鼓膜に届くのに対し、ダルマガエルやトウキョウダルマガエル
では鼓膜に届かない。確かに写真を見ると足(指?)の長さが違う。
・トノサマガエルの腹部は、ほとんど白であるのに対し、ダルマガエルでは網目状の斑紋が入る。
また、トウキョウダルマガエルは、ぼんやりした斑紋がある。
・トノサマガエルとは、分布域もあまり重複せず、本州(仙台平野、関東平野、新潟県中部・南部、
長野県北部・中部)。
・トノサマガエルの分布域は、
本州(関東平野から仙台平野にかけてを除く)、四国、九州と、中国、朝鮮半島、ロシア沿海州に
分布する。また、北海道の一部にも人為分布する。
観測はトノサマガエルが基本で、関東から仙台にかけてはトウキョウダルマガエルを観測するのかな。
この二つの中間みたいな感じのダルマガエルと云うのがいるそうです。
=
いよいよ帰国の日。バンコク~ハノイ~仁川~福岡。ハノイからベトナム航空で福岡直帰だったけど、
2週間前にキャンセルされた。放射能騒ぎで福岡への搭乗者がいなかったか少なかった????
朝7時に7/11で買った総菜パンとジュースで朝食、バンコク空港へ。ヤマタノオロチみたいなモニュメントがあった。
ハノイは夜11時発。いったん前に止まっていたホテルへ。ホテル前のたーちゃん家ご用達のレストラン(食堂)で、
好きなものだけをたっぷり食べる。その後、街をブラブラ。
前には気づかなかった映画館が・・・暗く、上映はしていない・・・看板はあるので、週末だけとか????
雰囲気が・・・・昭和何年頃かな?の雰囲気・・・・江戸川乱歩の世界みたい。
この雰囲気! 良いなー
楽しい2週間でありました
=完=
夕方になり、クルージング・ディナーへ出発。電車~少し歩いてチャオプラヤー川に出て、ボートで出発船着き場へ。
少し時間があったのでブラブラ。船着き場に大きなビル・・・入ってみようか・・・トイレ・・・2回への階段・人通りなし
・・・4,5軒の店・・・・買い物客、いない・・・・店に入る・・・店の人もいない???民芸品など良いなと思う品・・・
奥からご主人・物静か方である・・・・
高さ5,6cmのベンジャロン焼(王室ご用達)、写真よりも奇麗な模様です。
帰りの空港の店よりも安かった。観光・観光したお土産屋さんよりも、ちょっとした所で買うのがお勧めです。
21日06時過ぎに起床、1時間ほど散歩。公園ではウォーキングの人が6人。
朝食用の屋台を覗きながら、夜の為に狙いを定める。
10時30分、買い物に行くべく、ツクツクで表通り(スクンビット通り)へ。上に上がり電車に乗る。切符は自動販売機で。
3カ国後に切り替わるので分かり易い。ただし硬貨しか使えない。硬貨は他には使わないので手持ちがない・・・・。
心配は無用、改札口の所で両替してくれる。切符は売ってはくれないよ。3駅で20バーツ、60円と云った所。
電車はきれい。載っている人は同じような顔立ちの人が多い。
スクンビット通りは大きなショッピングセンターやフード・コートが幾つかある。
サイアム・センター、サイアム・パラゴン、セントラル・ワールドを周り御土産を。
奥様と娘がデゥーティフリーで金のネックレスを・・あれやこれやと・・・・始まった・・・・。可成り易いし、3割引きセールもやっていた。
こちらは民芸品などを・・・・もちろん買うのは街の店で、その方が安いのだ!。
お腹が減ってきたので先日食べそこなったフィッシュ・ボールの何とか麺を食べにデパ地下のフード・コートへ。
具はもちろん、麺、調味もトッピング、辛味を聞きながら、おとなし目に頼む。モヤシは生。
フィッシュ・ボールは柔らかい蒲鉾の食感。これも少しずつ違うもの分けて食べる。
手前の白く平べったいのは、ベトナムで食べたホワイトローズと同じようなもの。
スカイウォークを降りて、買い物袋をぶらぶらさせながら通りの横道に入ると・・・・・。
白いコーンが気になる。誘惑に負けて、夜食&ビルのつまみにと、つい幾つか買ってしまった。
この手のものは美味しそうなんです!!
=
14:30にホテルへ戻る。シャワーを浴びて一休み。娘と奥様は何やらペチャクチャ・・・・。
一人で通りを2時間ほど散策。7/11でご当地スナックを物色、ビールもと思ったら扉に鍵が掛かっている。
そう、タイでは14時~17時まではアルコールは売ってくれないのだ。時計を見ると後5分。
レジの娘が後5分ねとニッコリ・・・・。少しホテル寄りにも7/11があるのだ。途中、果物を買い、7分たったのでビールを。
夕食に出かける。どうもタイ料理は甘いので、インド料理に行くことにする。一昨日、ツクツクでパキスタンの人のお勧めの店に。
チャパティ(クレープみたいな感じ)とパパド(多分、パリパリと焼いたもの)が出てきた。北インド系かな?
チャパティは少し高級的なもので、パパドは庶民が食べる一般的なものだそうだ。中央はインディカ米、細長くて少しパサパサ。
ベジタリアン定食と云った所。
腹6分目・・・・ 少し肉類も・・・・。ビールはKingfisher、さっぱりとして料理に合う。
ぐっすり寝られた。
=
遺跡を後にエレファント・パークへ。象さんと同じ高さの台へ階段を上る。2人掛けの椅子へ。
少し揺れるが、大丈夫。
少し高い目線での風景は又良いものでした。写真は一緒した千葉からの娘さん。
写真を写し合い。こちらは2人掛けでバランスが良かったのか、そんなに揺れなかったけど、
彼女の方は結構揺れて怖かったそうです。象さんはモンローウォーク???
餌を・・・。少し腰が引けてる?????。
帰ろうとすると、像にチップをと云う。これは頂けない。入場料を取ってるだろうが。
アユタヤの最後はワット・ロカヤ・スタ。
元は寺院があったらしく、土台が残っている。広ーい廃墟に、これまた30m近い涅槃仏。
雑誌等では黄色い袈裟が掛かっているが・・・・。雨季と乾季で」なのかな?。
地元の母・男の子がお参り、供物と菊の花。
車で帰路に就く。残念ながらアユタヤの街をウロウロは出来なかった。
車窓から見た感じは王宮、都の意識があるのか、落ち着いた奇麗な街並み、中に入るとどうなのか。
庶民的なワイワイガヤガヤが好きなんだけど。
ちなみに、東京にいるとき、最後は戸越銀座のマンションでした。
途中で昼食、大きなホテル・レストランでバイキング。夕食でもOK,色んな料理が揃えてあった。
ガイドさんが大きなお皿に一杯にスートを持ってきた。これがタイでは一番のもの、是非」と云って、
そのまま両手に持って向こうのテーブルへ行き、満足そうに食べてた。フーンそうなんだ。
=
20日:今日は妻と二人でアユタヤ観光へ。
娘はホテルに残り、買い物と調べ物(後日、バンコクからベトナムへ戻り、
一人少数民族などなど1週間ほど行くつもり)
5時起床、昨日買っておいたもので朝食、15分歩歩いてツアー集合場所の何とかホテルへ。
千葉から来た娘さんと3人で出発。
最初はバンパイン宮殿へ。アユタヤ朝26代プラサ-ト・トン王が造った(造らせた)宮殿で、
歴代王の避暑地として使った夏の離宮。今も王族が住んでいる。
チャオプラヤー川の傍にあり、敷地も池が多くて水の離宮だ。水面からそよ風・・・。
昔の様式の建物は金色が多いが、白が目立つ。すっきりとした感じはこれからか。
建物の間が広く、歩いていると仄かに南国の花の香りが何処からとなく(いや実は歩いている傍からなのだが)
漂ってくる。おー実が成っている・・・ガイドさん、「これは食べられないパパイヤ(だったと思う)ですよ」と。
実があれば、全部が食べらそうなものばかり。
南国の花=鮮やかな色彩 と思っていたが、淡い色が多く、香りもさわやかだ。
とは言っても・・・・・
ここで好きなだけ住んで良いと言われたら・・・・・
多分、一カ月したら もう勘弁してよ となりそう。貧乏性と云うか、庶民なのか。
次へ向かう途中に日本人村の跡。山田長政もここに住んでいたとの事。
色々と修復した入り、集めているそうだが・・・・目玉になるものが少なく、料金が高く・・・・
あまり観光客が入ることはないそうです。
=
雷雨で帰りが遅くなり、午後2時過ぎ。お昼なしでおなかが減った。
電車で3駅、サイアム・パラゴンのフードコートへ。電車は3駅で20バーツ、60円程度。
フードコートは滅茶広い、3人別々のものを頼み、シェア。これが色んな物が食べられて良い。
食事の後はウィンドウショッピング&スーパーで朝食の買い出し。
ホテルで一休みして、夕食へ。フロンで聞いてタイ料理を食べにブラブラと歩いて行く。
ここでもシェアで、店の外のテーブルで。蚊取り線香かな、良い香りで煙が。
こんな感じの所はドルもOK。円が使える所も多い。
帰りの途中で、屋台で鳥の足のから揚げ、カリカリとしてビールに合う。
ビールはホテル近くのコンビニで、ビールの向こうはご当地カップヌードル。
これが結構イケるのです。
食事どころはドアボーイ、ガイドさんに「地元の人が多い店」を聞くのが秘訣。
安くて美味しいものが食べられる!
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お堂を見物していると急に暗くなってきた。空を見ると、あの雲が拡がっている。
「乳房雲」だ! 名前からは想像できない危険物である。下心があると言葉にだまされる。
雷注意報、いや警報である。すぐに土砂降り、近くに落雷!!
みんなキャーキャー言っている。そこは気象予報士、1時間ほどで収まるとお堂に座る。
ほどなく止む、約1時間。
帰り道、王宮をもう一度。正面の門は王様専用である。
丁度、衛兵の交代。こちらへ来る時はビシッと見えたのだが・・・・後ろか見ると・・・・
後ろへ行くほど ゆるいのである。右の兵士は一人、銃を背中に背負ったまま、真中はズット下を向いたまま、
左手の服装は、ベルトに挟んだまま・・・・。 マー平和と云うことか。
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